エッセイ目次ページに戻る

苦闘の留学編 (3)ノックアウトマウスの胎盤異常をレスキューする(でもどうやって?)

2021.06.14

苦闘の留学編 (3)ノックアウトマウスの胎盤異常をレスキューする(でもどうやって?) 

Jimのアプローチは、サイトカインのシグナルに関連した分子の機能を明らかにしたい、ではそのために何をすべきかということである。そして彼はノックアウトマウスの技術が開発された直後からその手法を取り入れてきた。Jimがこだわっているもうひとつの点はある仮説を証明したいときに、結果がdefinitiveである方法をとるということである。すなわち結果の解釈にこうかもしれないとかこの可能性が示唆されるなどの意見が分かれるようでは、それはひとつの現象とその解釈であって真実とはいえない。

私たち臨床家が陥りやすい陥穽のひとつはそのようなアプローチにおぼれがちなことである。ただそれにはやむを得ない理由がある。臨床で患者さんを相手にしていると、コントロールや再現性をきちんととるというのは不可能な場合も多いし倫理的に許されない場合も多い。もちろんそのような現象の記述の積み重ねが時として真実を浮かび上がらせることは多く、別の意味で重要な意義があるのは当然のことである。

また逆に、目の前にある病態の患者さんが存在すると言うこと自身が厳然たる事実であり、そこからこれまでの概念では想像もできない真実が浮かび上がってくることがある。これは基礎的な研究だけでは行い得ない方法で、Physician Scientistしかなし得ない研究でもある。実際私自身、帰国後に多くの仲間たちと20年がかりで進めてきた「抗PIT-1下垂体炎(抗PIT-1抗体症候群)」はまさにそのような仕事である。私たちが見出し、名付け、原因を解明し、疾患モデル作成とともに当初から予想もつかない新たな展開からOnco-immune-endocrinologyという新たな学問体系を提唱するに至ったプロセスはまた別稿で紹介したい。

重要なことはそれぞれのアプローチの利点と限界を正確に認識することであろう。いずれにせよ、Jimdefinitiveな事実を明らかにするための最も有効な方法のひとつとしてノックアウトマウスの手法をとりいれたのだった。ノックアウトマウスにおいてはある遺伝子を欠損させるとある表現型が出現する(一見見つからなくて途方にくれることも多いが)。もしマウスがなんらかの原因で死んでしまったり、重篤な病状を呈すれば、その遺伝子は極めて重要な遺伝子であると断言できる。その原因と結果においては議論の余地のない明白な因果関係を証明することができる。もちろんノックアウトマウスの実験にも限界があり、最近では表現型だけでは論文にもならない場合もある。

なぜJimはそのようにノックアウトマウスのデータしか信じなくなったのか?最初は私もよくわからなかったのだが、ラボに馴染みこれまでの歴史をよく知るとその思いがよく理解できるようになった。当時も今も細胞を用いた分子の機能解析実験はよく行われているが、その方法、結果の解釈には注意が必要であり、特に強制発現系はかなり深刻な問題が存在する。細胞を用いた強制発現系の実験の結果は役に立たない場合が多いのである。その理由は例えば、細胞内シグナル伝達分子についていうと、そのような分子はシグナリングカスケードにおいて上流、下流の分子と相互作用するが、その量や活性は極めて厳密に調節されている。そこに非生理的な量(たとえな数十倍)の強制発現を行うと、普段起こらない事が起こってしまう。例えば低親和性で本来相互作用しない分子にまで影響を与えたりすることが起こる。その意味ではノックダウンの系は信頼できる場合が多いが、当時はアンチセンスを用いたかなりトリッキーな方法しかなく、in vitroでは主に強制発現系で、せいぜいドミナントネガティブ変異体の強制発現によってその分子の機能を明らかにするのが限界だった。しかしながら非生理的条件下の強制発現では、まさに非生理的な結果しか得られず(もちろん機能や詳細な機序のヒント時は得られるし、時と場合によっては有用であるが)、最終的にノックアウトなどの実験で裏付けが取れない場合が多々あることを、Jimは経験していた。             

さてJimからのmissiontetraploid rescueという見たことも聞いたこともない実験であった。我々が胎盤の表現型を発表するならtetraploid rescueで示すしかないと。まず論文を読んでいろいろと調べてみた。この方法はひとことで言うと、ノックアウトマウスの胎生致死が胎盤の異常で起こっているのならば、正常な胎盤を補うことによって生存させようという実験だった。でもどうやって?

単純に正常な胎盤をのりでひっつけるわけにはいかないし、手術でつなげるとはとても思えない。この実験には大変elegantなトリックがあった。この方法を開発したのはカナダのAndreas Nagyという科学者で、原理としては4倍体の胎児細胞は胎盤には寄与できるが、胎児にはなれないという事実だった。この原理を利用して、Nagyはまず2細胞期の胎児に電気ショックを与えて細胞融合させ4倍体の胎児を作製した。そしてその胎児をノックアウトマウスの2細胞期の胎児とさらに融合させ、胞胚(blastocyst)にまでin vitroで育てた後に、偽妊娠マウスの子宮に移植するという方法である。4倍体の正常マウスはノックアウトの胎児と融合し成長する過程で自然に胎盤に寄与することになり、結果的にはノックアウト胎児に正常胎盤がつながっているという形になり、もしノックアウトによって胎児自身に異常がなければ、レスキューされ出産し発育させることも可能になるという理屈である。 

理屈はわかったがどうやってやる?この実験をしようといわれて2-3日後にJimにどうだできそうかとオフィスに呼ばれた。理屈はわかりましたが、胎児を見たことも扱ったこともありませんと言うと、Jimは突然受話器をとって、tetraploid rescueの創始者であるカナダのAndreas Nagyにいきなり国際電話をかけた。’Hello Andreas, this is Jim Ihle……’ そのようなアプローチは日本では見たことがなかったのでびっくりしたが、JimSocs3KOの表現型と状況を説明した後、Nagyに共同研究ができないかと問いかけてくれた。

私はなんとか向こうでやってもらえますようにと心の中で祈っていたが、この実験のためには何十匹というマウスを用意する必要があり、答えはこちらで(我々で!) やった方が早いのではないかという答えだった。一瞬目の前が真っ暗になったが、幸いコーチに来てくれる先生を紹介すると言ってくれた。本当にできるのだろうかと不安な気分になったが、こうなったらやってやろうと開き直った。ということで、ビッグチャレンジが始まった。

苦闘の留学編(4)に続きます。

 

©奈良県立医科大学 糖尿病・内分泌内科学講座
当サイト内のコンテンツの無断転用を禁じます