エッセイ目次ページに戻る

苦闘の留学編 (2) Socs3KOマウスの謎が解けた!

2021.06.01

苦闘の留学編 (2)

Socs3KOマウスの謎が解けた!

まず私がsocs3KOマウスを実際にいろいろと解析をはじめて感じたことは、確かに10-12日目の胎児では赤芽球が増加しているが果たしてこれが致死の原因になるのだろうか?ということである。このあたりは臨床医としての経験が生きたのではないかと考えている。

他にも同様な例がある。Stat5のノックアウトマウスは前任のPhDのポスドクが中心に解析をしていた。Stat5KOは成長ホルモンシグナルの欠損で成長遅延があるが、それ以外にもIL2シグナルの異常がある。1年くらいすると炎症が起き巨大な脾腫を呈して死亡するがその原因は十分わかっていない。そのポスドクは私に対してStat5KOは脾腫が原因で死亡すると言っていたが、私にはそうは思えなかった。私自身の臨床経験で、骨髄異形成症候群の患者さんで児頭大のような巨大な脾臓を持った方がおられたが、その脾腫自身が死因になることはありえない。ノックアウトマウスの解釈(すべての事象にあてはまるかもしれないが)での陥穽は、ぱっと目立つ劇的な表現型に目を奪われ、それに沿ったストーリーを無理矢理作ってしまうというパターンがあることである。昨今のコロナ対応でも顕著に表れているが、人間には多くのバイアスがあり、一旦思い込んでしまうとそれ以外の要素は見えなくなるあるいは恣意的に排除してしまう。 

特に最近ではノックアウトマウスの表現型だけの記述的描写では不十分で、よい雑誌になるほど、そのメカニズム、ストーリーが要求される。そしてデータひとつひとつは事実でも、データを組み合わせて作製したストーリーにはよほど気をつけないと恣意性が入り込む余地がありうるということである。それまで、研究をするにあたって、臨床医としての経験は研究の経験不足につながるのではないかという心配もあったのだが、そのときに医学部での6年間の勉強と臨床医としての経験は、研究において深く洞察するために非常に役立つことを実感した。

さてSocs3KOについても造血亢進が死因だとは思えなかったので、できるだけ広い視点で胎児組織の詳細な観察を始めた。そしてたまたま作製した胎盤の標本を見て息をのんだ。その時の衝撃と興奮は今でも覚えている。私自身胎盤の標本を見たのは初めてだったのだが、それでも明らかにわかるような異常で、胎盤全体を栄養膜巨細胞が占めていたのだった。胎盤について少し基礎知識を整理しておきたい。胎盤は母親と胎児を隔てながら栄養やガス交換を行う大変精緻かつ巧妙な構造をしている。Blastocystは、着床した後に子宮内膜にあたかも悪性細胞のように子宮粘膜に浸潤していく。その際の胎盤側のインターフェースとなるのが栄養膜巨細胞である。その名のとおりendoredupulicationによって2nから4n, 8nと巨核を形成すると同時にMMPなどを産生し、胎盤が子宮内膜中に入り込む上で必須の働きをしている。栄養膜巨細胞は栄養膜幹細胞から分化していく。同時に栄養膜幹細胞は合胞体栄養膜細胞に分化し胎児、母親の血管とともに胎盤の中心構造となる迷路層を形作り、栄養、ガス交換を行う。すなわち、栄養膜幹細胞から巨細胞と合胞体細胞に分化するバランスは、胎盤の正常な機能と構造を保つ上で重要である。

Socs3KOマウスの胎盤はその巨細胞で満たされていたのだった。私は大変興奮し、この瞬間にこれが胎生致死の原因だと確信し、その表現型が腑に落ちた。胎児が赤芽球であふれていたのは、胎盤の機能不全で低酸素に陥っていたのだ。それは正しかったのだが、そこからが苦難の道の始まりだった。まずこの事実をJimに確信してもらわなければならない。科学研究において、まず自分が事実であると確信するまで工夫しながら実験を繰り返すことが重要であり大変なのだが、次のステップは他の人を確信させることである。そして多くの場合そのステップはさらに大変である。自分ではこうだと思いこんでいても、データを客観的、批判的に見るととてもそんなことはいえないというのはよくあることだ。しかし論文にするためには決して避けて通ることはできない。

その中でもJimは大変タフな人で、中々納得してくれない。ぱっとしないデータをもっていくとあくびをし出す。しかし逆に言うとJimが納得してくれれば、良い雑誌のレフリーを納得させることは難しくはないということだ。しかし、その時点で私が甘くみていたもう一つの厳しい問題があった。これがこのKOで始めて見つけた表現型なら問題ない。しかし前述したようにすでに胎児の赤芽球過多について間違った解釈で最高峰の雑誌Cellで出版しているのだ。私はこの事実の厳しさをその時点では十分理解していなかった。それでも勇んでJimに報告し胎盤の構造について説明したところ、Jimはスライドを一別した後、たまたまセクションの場所によって巨細胞が多く見えているのだろうとあしらわれてしまった。そこで、私はKOWTの胎盤のすべてを120枚あまりのHE標本にして(大変お金がかかったが)、KOでは確かにどこを切って巨細胞にあふれていることを見せ、Jimもやっと納得した。

 これは非常に興味深い表現型である。当時、ノックアウトマウスで胎盤異常を起こし致死的な表現型を呈してそのメカニズムを明らかにした論文は多くは一流雑誌に掲載されていたことから、私は嬉々として様々な仮説を立てて実験を進めた。SOCS3は胎盤の栄養膜細胞の分化を調節しているに違いない。胎盤の分化異常を示すためには、栄養膜細胞各種のマーカーを用いたin situ hybridizationで示す必要がある。それまで私はin situ hybridizationをしたことがなかった。そこでまずあちこちからプロトコールを取り寄せ、in situのエキスパートである大学院時代の同級生で友人でもある近畿大学解剖学教授の重吉先生にもメールでいろいろと相談してみた。またそれまではあまり話したことがなかったイギリスからのポスドクであるカトリーナに相談してみると、いろいろと親切に教えてくれた。いずれにせよやってみなければどうにもならないので、まず凍結切片作製から手習いを始めた。

ピューリッツァー賞の写真が感情を揺さぶるように、よくできた写真は幾千の文章よりも説得力を持つ。しかし、皆が納得できるような説得力のある美しい写真を撮るというのは実は、非常に難しいことである。良い論文をたくさん読むとどのような写真がよいものか少しずつ理解できるようになってくる。その方法というのはひとことではとても書ききれないが、重要なことは何を伝えたいかの意図が明確であり、フォーカスと構図がそれを美しく示しているということだ。

まずin situの系を動かし、説得力のあるFigを作るために悪戦苦闘をしているときにJimからもうひとつの指令が下った。私たちポスドクの間では当時はやっていたトムクルーズの映画にちなんで、Jimの指令をmission impossibleと言っていた。私を含め、Jimのラボのポスドクには多かれ少なかれmission impossibleの指令が下されていた。仲間に対するmission impossibleを見るかぎり、またえらいことをやっているなという程度の認識だったが、自分が言われると仲間の気持ちがよくわかった。その大変なmissionにともにチャレンジしていたNickChaoはいまでもよき友人であり、尊敬するScientistである。NickImmunityを書いてニューヨークでラボを構え、Chaoはその後Natureを書いて今もSt Judeで活躍している。Jimについて当時はただただ無茶を言う人だなと感じたりその意義がよくわからなかったが、今はそのmissionとチャレンジの意義がよくわかるようになった。本質を明らかにするためには、どんなに大変でもチャレンジするしかない。そして、今はむしろ若い先生とともにそのようなチャレンジを行なっている。

サイエンス以外にもあてはまる普遍的な真実だと思うが、authenticなものの創造には手間と時間がかかるのである。私が留学中に学んだ一番大切なことかもしれない。まさに学問に王道無しである。Jimがなぜ一流の科学者としてやってくることができたかというひとつの理由は、Jimが本質的なアプローチを見抜く目と本質を示すための実験がいかに大変であろうともそれを実行しやり遂げる強い意志を持ち続けているからだと思っている。そして本質的なアプローチというのは、たいてい手間がかかるのである。 

音楽、文学、絵画、家具、グルメや衣服でもなんでもよいものには水面下で大変な手間とコストがかかるものなのだ。良いものを安価で手に入れたいというのは人間としては無理もない心理だが、本当に良いものを手に入れたければそれに見合ったコストを払うしかない。それは金銭だけではなく、努力、時間、情熱などである。そしてその表面に見えないものが人の心を打つのだと思う。私も多くの論文のレフリーをやってきて感じるようになったが、たとえ一枚のFigureであっても見る人が見れば、その結果を出すのにどれだけの試行錯誤と手間をかけた魂のこもったものであるかが伝わってくるのである。

私が自戒も含めて感じるのは、日本の研究でよくみかけたアプローチは、何をすべきかと言う観点ではなく何ができるかということである。自分自身も留学するまでそのような発想で行なっていた研究が多かった。わかりやすく言うと、今できるのはリアルタイムPCRだからとりあえずそれで調べることのできることをやってみようという発想である。しかしこのアプローチでは、多くの場合科学的意義の重要な真実にたどり着くことができない。すなわち、目的と方法をはっきりさせるということである。ともすれば方法におぼれてしまい本来の目的を見失ってしまうというのは科学の世界だけではなく、生活、政治を含めてさまざまな世界でも起こっているのではないかと思う。

 このような考え方を認識して、私自身頭を殴られたようなショックを受けるとともに、時間はかかったが心から納得したのだった。そのような意味で、どの世界でも本物を見て、本物を創る過程を学ぶことは非常に重要だと思う。臨床でもそうである。やはり本物のすごさとリアリティはそのものに直に接しないとわからないのだ。コロナ対策を含め、日本の政策も方法の枝葉末節や利益相反にとらわれるあまり本来の目的を見失ってしまったものがたくさんあるように感じる。ただ正しい道というのは多くの場合困難なものである。だからこそつい安易な道を選んでしまう。困難を乗り越えてひとつの道を成就させるためには持続する信念と強い意志が必要である。私にとってそのような信念を持つに至ったことは、大変有意義なことだった。そしてそれが留学で得た最大の財産だった。

若い先生たちは、困難な正しい道を進むなんて何の得もないし、そんなことはできないと感じるかもしれない。でもこれは一旦信念として持ってしまうとこれほど楽で楽しいことはない。なぜなら自分にも研究の結果に対しても全く偽る必要がないからである。そして一旦何かを成し遂げれば一生支えになる自分に対する自信を得ることができる。また人間は正しくないことを止むを得ず行なっているときは、意識下であれ無意識下であれ気づいている場合が多い。そして本当はこうしたいけれどと言い訳を作ってしていないとき、それが自縄自縛となって大きなストレスになっている場合が多い。ではどうすれば良いのか。それは簡単で、できる限り自分が正しいと信じることを行うという決意と、結果を受け入れる覚悟を持つことである。また人間はいつも強くいられるわけではないので、弱った自分、間違った自分も受け入れることである。それだけで楽に生きることができる。

苦闘の留学編(3)に続く

©奈良県立医科大学 糖尿病・内分泌内科学講座
当サイト内のコンテンツの無断転用を禁じます