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苦闘の留学研究編 (1)こうして研究生活は始まった

2021.04.29

苦闘の留学研究編 (1)
こうして研究生活は始まった

 

 メンフィス空港に3ヶ月の娘、家内と4つのスーツケース、バギーとともに降り立ったのは1999年の11月だった。体は疲れていたが、臨床の教室でできなかったようなアプローチで大きな仕事をやるぞと心は希望に燃えていた。タクシーをつかまえダウンタウンのホテルにチェックインした。

ボスのJimに挨拶にいくと早速プロジェクトの相談。なんとか1週間で生活のセットアップを終え、いよいよ実験を開始した。Jimから提示されたプロジェクトは2つ。ひとつはStat5KOマウスの解析である。Stat5EPO, IL2, GHのシグナルに必須の転写因子で1998年にステファンがStat5a, Stat5bのダブルノックアウトマウスについての報告(Cell 1998,29,841)をしてからすでに多くの仕事がなされていたが、IGF-Iの制御については十分わかっていないことからそれを明らかにするというプロジェクトである。もうひとつはSuppressor of cytokine signaling (SOCS)ファミリーの一つsocs3KOマウスの解析である。そしてそれだけではなく、私は自分で見つけた分子をノックアウトし、その病態生理的役割を明らかにしたいと強く思っていたので、与えられた仕事だけではなく、自分で面白い分子をクローニングしてやろうと思っていた。

SOCS31997年にDoug Hilton(colony assay を開発したMetcalfの流れ)、吉村昭彦先生、岸本忠三先生の3つのグループがNatureback-to-backで報告したサイトカインシグナルの負の制御因子のひとつである。SOCSファミリーの発見、報告に至る過程は吉村先生のホームページにあるエッセイに詳しく書かれている。大変面白い話なので、是非一読をお勧めする。

少し話はそれるが、上記のMetcalfは2000年にsocs2KOマウスが巨人症になることをNatureに報告しGHシグナルの抑制因子であることを示した。この論文ではなんと引退してからFirst authorで報告しているが、自分で手を動かしていたらしい。研究というものは子供がおもちゃに夢中になるような面があり、私自身も今でも自分で実験をして新たな発見をする興奮を味わいたいと思っているが、最近は若い先生とともに興奮を分かち合うとともに、一人でも多くのPhysician Scientistを育てたいと感じている。

さてJimはもともとIL3を同定し、GH, EPOなどのホルモンのシグナルにJAK2が関わっていることをCellに報告しており、実はJAK2も吉村先生との競争があった。そのような流れもありSOCSに興味を持ち吉村先生との共同研究でJimの十八番であるノックアウトマウスを作製し解析を行っていた。吉村先生も言われているが、Jimはノックアウトマウスのデータ以外信じない人間である。私自身最初の頃はなぜそんな考え方なのかよくわからなかったが、次第にその信念と理由がわかってきた。その点については後述する。

当時socs1socs3のノックアウトマウスはクリスというベルギーからきたポスドクが作製しドラスティックな表現型をCellに報告していた(Cell 1999,98,609, Cell 1999,98,617)。クリスとは一度だけパーティでゆっくりと話をしたことがあるが、繊細でいかにも頭の切れるポスドクだった。私自身がJimのラボにアプライするきっかけとなったのが、このCell2本の論文にまるで名作映画のような美しいストーリーを感じ心を打たれたことだった。科学論文で面白い論文は多いが、美しい論文は決して多くない。それらの論文の美しさとはいったい何かとずっと考え続けてきたが、最近その理由がわかってきた気がしている。そのことについては別の機会に述べたいと思う。いずれにせよ自分自身でノックアウトマウスを作製し、解析することによって本質にアプローチしてみたいと強く願うようになっていた。

クリスと話した機会に私がクリスの論文に感銘を受けたことを話すと、裏話を教えてくれた。socs1をノックアウトするとマウスは1ヶ月以内に全身に炎症を引き起こして死亡する。クリスはその表現型の解釈にずっと苦しんでいた。その謎を解明しないとJimは論文にさせてくれない。しかしある研究会で、たまたまインターフェロンγを過剰に発現すると類似した表現型になることを知り、インターフェロンγのノックアウトマウスとかけ合わせてみると見事にレスキューされたことから、SOCS1がインターフェロンγの負の制御因子であり、SOCS1がなくなるとインターフェロンγのシグナルが過剰になるということを証明したのだった。この生物学的に生死のレベルでレスキューされるというのはまさに本質的な関わりを示しており、この論文の美しさの一つの要因だった。

SOCS3のストーリーはしかしさらに大きなどんでん返しを迎えることになる。Socs3KOマウスは胎生12.5日目(マウスは19~20(ハツカネズミの由来である)日で生まれることから妊娠中期になる)に死亡する。ノックアウトマウスの胎児を観察すると、真っ赤で組織では胎児に赤血球はあふれている。In vitro においてSocs3を過剰発現すると造血に必須のEPOのシグナルを抑制すること、またSocs3を赤芽球で発現するプロモーターで発現するトランスジェニックマウスを作製すると同時期に貧血になって死亡することから、クリスのCellの論文はSOCS3EPOの負の制御因子であると結論づけており、Jimも私も信じ切っていた。事実は、実験手法、結果は正しかったのだが、解釈が誤っていたのだ。

科学によらず真実というのは後から見ると非常にシンプルで、解釈も明解である。しかし、人生においても臨床においても同様であるが、人間には常にバイアスが存在しある時点で限られた情報とデータで解釈をするとき、結果として過ちをおかすことよくあることである。そしてサイエンスの世界において剽窃や捏造は許されないことだが、このような過ちは許されるものである。また最先端の研究であればあるほど、時として避けられない場合もあるということ身をもって学んだことは、私自身にとって大変有意義であった。

さてsocs3KOについて私に課せられた仕事は、socs3の胎生期における赤血球分化の制御機構を明らかにせよというものだった。当時私自身は分子生物学をかじった程度の内分泌代謝臨床医であり、ノックアウトマウスを扱うのも初めてであり、造血についても教科書の知識しかない。胎児のヘマトクリットをはかったり、メイギムザ染色をしたりと慣れない実験が始まった。そして驚くべきことがわかってきたのだった。

苦闘の留学研究編(2)に続く

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