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これまでの研究を振り返って

2020.12.23

この機会に少し私の研究者としての人生を振り返ってみたいと思います。私は1988年に神戸大学医学部を卒業し、当時Ca代謝をご専門とする藤田拓男先生が主宰される神戸大学医学部第3内科に入局しました。糖尿病を中心とする第2内科と迷ったのですが、第3内科は井村裕夫先生が初代教授で自由闊達なアカデミックな雰囲気に溢れており、もともと縛られるのが好きではない私自身には合っているのではないかと考えて決めました。その後3年間は内科医としての研修を行いました。当時は働き方改革のような考え方もなくほとんど病院に住み込むような超ブラックな研修が当たり前でした。実際最初の大学病院での内科ストレート研修の1年間で6人の剖検症例を経験しました。また2-3年目に研修した兵庫県立柏原病院もさらにハードな研修でしたが、仲間と共に愚痴をこぼしながらも楽しい日々でした。

 その間に何人かの忘れられない患者さんを経験しました。その一人は24歳の女性で倦怠感を主訴に来られたのですが、私が外来で見たときには、全身のリンパ節腫脹、多発性肝転移を認め悪性腫瘍の末期に近い状態でした。全身検索の結果、hCG産生大腸癌という非常に稀なもので、化学療法など全力を尽くしたのですが、約3ヶ月で亡くなられました。その際に私自身は図らずも号泣してしてしまい、途方もない無力感に襲われました。そして現在の医学の限界を痛感し、それを乗り越えるのは研究をするしかないと感じたのです。そして藤田先生の「臨床家にとって、研究は魂の叫びであり限られた医療の力にもとづく現実の不満と理想への挑戦である」という言葉が胸に響きました。ちょうどその頃に後にメンターとなる千原和夫教授から大学院入学へのお誘いを頂きました。

 当時千原先生は神戸大学国際交流センター代謝部門の教授をされており、私は卒後4年目に大学院生としての生活を始めました。私が与えられたテーマは、「生物学的不活性型GHによる低身長症の発症機序の解明」というものでした。その頃生物学的不活性型GHによる低身長症は発見者にちなんでコワルスキ症候群と呼ばれていたのですが、その病態は不明でした。ちょうど疑わしい症例がいて私が解析を行うことになりました。その方法は今の進歩した科学の手法であれば1週間で結論が出そうなものですが、当時はGH-1遺伝子解析のためのPCRの系を立ち上げるにも半年以上かかるような状態でした。それは教室に分子生物学の専門家がおらず独力で工夫が必要な状況だったことや、GH-1遺伝子は偽遺伝子が多く特異的に増幅するのが難しかったこと、遺伝子シーケンスもRIを用いたサンガー法でRI室(今は死語になりつつありますが)にこもって丸2日仕事でした。ようやく系を立ち上げてその症例を解析できたのですが、結果はネガティブでした。そこで全国の小児内分泌医に協力をお願いし、そのような症例を集めて解析を進めました。しかし解析しても解析してもネガティブで、3年経っても結果が出ずプロジェクトは暗礁に乗り上げ、私自身の学位も危機的な状況になり本当に苦しい時期がありました。一時は研究を諦めかけたこともありましたが、なんとか粘り強く続けているうちに、ついにGH-1遺伝子変異による不活性型GHの症例に遭遇し、学位は1年遅れましたが論文も報告することができました。その症例は非常に興味深いことにホルモンが点変異により内因性アンタゴニストになるという新たな疾患概念として(N Engl J Med 1996, 334, 432, J Clin Invest 1997 100 1159)報告することができました。今でも論文アクセプトの手紙を受け取った時の感動は覚えています(当時はe-mailではなく手紙でした)。大学院時代は苦しいことの方が多かったのですが、多くのことを学びました。特に正しい努力を続けていればどんなに遠い道のりでもいつかゴールにたどり着くということを実感しました。

 その後スタッフになり多忙な日々を送っていたのですが、さらに本格的な研究にチャレンジしたいという思いが強くなってきました。そこで海外留学でノックアウトマウスを始めとする分子生物学の最先端の技術と一流のサイエンティストの考え方を学びたいという気持ちがあったので、米国St Jude Children’s Research Hospital, Biochemistry部門James Ihle教授のもとに3年間、留学いたしました。ジム(Ihle教授)はIL3を発見したサイトカインシグナルの専門家でノーベル賞候補にもなるような方でした。特に当時はSOCSファミリーの機能について主にGeneticなアプローチでCellなどに本当に美しい論文を出されており、感銘を受けて応募しました。実際に行ってみるとMDは私だけで他は全てPhDの国際色豊かなラボでした。ジムは非常に気さくでナイスガイですが、サイエンスに対しては厳しく、汚いFigを持っていくと投げられたりしたので最初はショックを受けました。しかし少しずつ技術と知識が進歩して面白いデータを持っていくと次々と新たなストラテジーや共同研究の示唆をして頂けるようになりました。何よりも同じラボで切磋琢磨したポスドクの仲間から一生の友人ができ、また家族で訪れたヨセミテやイエローストーン、バンフ国立公園などの美しく雄大な光景は忘れられません。またジムのDefinitiveなエビデンスを目指すというサイエンスに対する考え方と姿勢、Authenticなアプローチの重要性を実感し理解できたことは私にとって重要な財産になりました。一方でPhysician Scientistとして私自身しかできないようなことにチャレンジしたいと感じるようになりました。

 帰国後は、神戸大学第3内科(その後内分泌、神経、血液内科)に戻り千原先生のもとでスタッフとして活動を続けました。そしてPhysician Scientistとして臨床現場から本質的な課題を抽出し、研究でそれを解決するという手法を実践して参りました。そのような中で、成人GH分泌不全症に合併したNASHからGHの肝臓における作用を明らかにし(Gastroenterology 2007 132 938, EJE 2012 167 67, Sci Rep 2016 6 34605, Int J Mol Sci 2017 18 E1447 Review)、後天性GH, PRL, TSH欠損症を呈した症例との遭遇から「抗PIT-1下垂体炎(抗PIT-1抗体症候群)」の疾患概念の提唱とその機序の解明(J Clin Invest 2011 121 113, J Clini Endocrinol Metab 2014 99 E1744, Sci Rep 2017 7 43060, Endocri Rev 2020 41 1 Review, EJE 2020 189 R59 Review)、世界で初めての下垂体疾患病態解明へのiPS細胞の応用(J Endocri Soc 2019 3 1969, J Clin Invest 2020 130 641)などの研究に取り組んで参りました。

 私の研究の原点は二つあり、Scientistとしての新たなことを見出した時の喜びである知的好奇心とともに、Physicianとしての悔しさの体験から医学の限界を乗り越えるための方法として挑戦を続けてきました。今後は若い先生たちとともに、ライフワークとして様々なアプローチで糖尿病・内分泌疾患の病態解明、下垂体難治疾患の病態解明・創薬に取り組み、患者さんに還元できるような研究、そして難病を治すことができる薬を患者さんに届けるところまで進めて行きたいと考えています。

 昨今、新臨床研修制度や専門性制度の変遷に伴い研究に挑戦しようというMDが激減しています。また大学院生に入学する年齢も遅くなっており、大学における医学研究に対して深刻な影響が出ています。医療資源を有効に活用するという観点では正しい方向かもしれませんが、Physicianの観点と経験を持ったScientistは今の医学の限界を乗り越えるための医学研究には欠くことはできません。私自身の役割としてそのような次世代を担うPhysician Scientistの育成に力を注ぎたいと存じます。また私自身にとって千原教授、Ihle教授にはメンターとして本当に大切なことをたくさん教えて頂きました。お二人からは医学や科学だけではなく、生き方や姿勢、大局的な物の見方、困難に遭遇した時のあり方など本に書いていないことを多く学びました。また本学会でも尊敬する多くの先輩方のご指導を受けて参りました。今の制度によってそのようなメンターと出会う機会も減っているような気がします。私自身はメンターとともに諸先輩方から教えて頂いたことを、今度は若い先生にお伝えして行きたいと思います。そして世界に発信できる研究を行い、病に苦しむ患者さんを一人でも助けることができるようなPhysician Scientistの養成に尽力して行きたいと考えています。

©奈良県立医科大学 糖尿病・内分泌内科学講座
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